Sbagliando s’impara.:間違えながら学ぶもの
2011年 10月 15日
最近テレビをつけると、人が言い間違えたり、面白くないことを言ったときに「噛んだ」、
あるいは「滑った」と面白がっていることに、私は違和感を感じています。
また番組作成中のNGを特集としてゴールデンタイムに放送し、視聴率が高いというのも
おかしな話です。
日本人は間違えること、失敗することを恐れるのでこういうことが、面白い材料になるので
しょうか?自分たちで人間関係を窮屈にしているのではないでしょうか?
イタリアでは学習するとき「Sbagliando s’impara.:間違えながら学ぶもの」と言います。
失敗を恐れていては前に進めません、創造的な活動もできません。
失敗を笑いものにする風潮は人を消極的にします。
もっと明るく楽しい言葉が流行って欲しいものです。
あるいは「滑った」と面白がっていることに、私は違和感を感じています。
また番組作成中のNGを特集としてゴールデンタイムに放送し、視聴率が高いというのも
おかしな話です。
日本人は間違えること、失敗することを恐れるのでこういうことが、面白い材料になるので
しょうか?自分たちで人間関係を窮屈にしているのではないでしょうか?
イタリアでは学習するとき「Sbagliando s’impara.:間違えながら学ぶもの」と言います。
失敗を恐れていては前に進めません、創造的な活動もできません。
失敗を笑いものにする風潮は人を消極的にします。
もっと明るく楽しい言葉が流行って欲しいものです。
by aula-magna
| 2011-10-15 16:20
| ・日記
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