イタリアオペラ翻訳家 とよしま よう のブログです。


by aula magna
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久しぶりの.......

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お客様が見えたので、久しぶりにソフィアローレンの肉団子を作りました。
出来上がったら「美味しそう!美味しそう!」と皆で喜んでテーブルの撮影会となりました。
レシピは2008年6月29日のブログをご覧下さい。
今回は牛肉の代わりに豚肉の赤身を使い、一段と美味しく出来ました。

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by aula-magna | 2010-10-23 22:09 | ・イタリア料理 | Trackback | Comments(0)

小説「椿姫」と翻訳

デュマ・フィス(1824~1895)の名を世界的にした「椿姫」は、作者がまだ20歳の
時の処女作である。現在、私の手元には3冊の「椿姫」の翻訳書がある。
読み比べてみると翻訳者の人柄を垣間見るようで興味深い。
参考までに、文頭部分をここに載せてみる。

新潮社出版〈世界文学全集30〉昭和3年6月20日発行
「椿姫」高橋邦太郎譯
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 どんな國語でもよく習ってからでないと話せないやうに、充分に人間を研究して
からでなければ、小説の中の人物をつくりだすことは出来ないと、私は考へる。
まだ私は小説の中の人物を作り上げるやうな年配にはなってゐないのだから、
ただ事實を物語るだけで満足して置かう。
だからこの物語は真實であつて、その人物も女主人公を除いた外は皆、今なほ
生きてゐるといふことを信じて頂いていいのである。


岩波文庫 昭和9年8月15日第一刷発行
「椿姫」吉村正一郎訳
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 小説中の人物を作りだすには、何よりもまず、人間というものを充分研究して
かからなくてはならない、というのが私の意見である。あたかもそれは、どんな
国の言葉でも、本気に学習してからでなくては話せないようなものだ。
私はまだ創意を示すほどの年配でもないのだから、あまんじてただ単に事実を
物語るというだけにとどめよう。
で、私は、この物語が事実本当にあったことで、女主人公を除けば、登場人物は
ことごとく現存しているということを読者に信じていただきたいと思う。


三笠書房〈世界文学選書23〉昭和25年3月10日初版発行
「椿姫」鈴木力衛譯
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 ある國の言葉が話せるようになるためには、本気になって勉強しなければならない
が、それと同様に、人物を創造しようと思ったら人間をよく研究する必要がある。
―わたしはつねづねそう考えている。
わたしはまだ物事を作りだす年頃にはなっていない。だから事實をありのままに
物語るだけで満足しようと思う。
で、この點はぜひお含みおき願いたいのだが。この物語は実際にあったことであり、
人物も女主人公を除いては、今日でも生きているのである。

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by aula-magna | 2010-10-20 17:11 | ・日記 | Trackback | Comments(0)
翻訳することの難しさに押し潰されそうになったとき、いつも読み返す詩がある。

ベンガル語の詩人タゴール(1861~1941)の「果実あつめ」の1篇
道ができている場所では            山室静・訳

道ができている場所では、わたしはわたしの道を見失う。
大海には、青空には、どんな道も通っていない。
道は小鳥の翼の中、星の篝火の中、移りゆく季節の花の中に
隠されている。
そこでわたしはわたしの胸にたずねる---おまえの血は見え
ざる道の知恵をもっているか、と。

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by aula-magna | 2010-10-13 00:45 | ・日記 | Trackback | Comments(2)

著作権保護

創作はもちろんのこと、翻訳についてもその著作物は、作者が培ってきた時間、
努力、エネルギー、センスなど多くの積み重ねのうえで完成している。
ところが、出来上がったものを手軽に一部手直し、あるいはコピーし、それを
仕事とする人まで年々増えている。
著作権保護の存在理由は、こういった風潮から著作者を護ることにある。
お互いの仕事を尊重し、協力し合って作品を作り上げるような横の関係が広がり、
人それぞれが心から自分の仕事に打ち込めるような社会にするためにも、
著作権は護られなければならないと考えている。 

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by aula-magna | 2010-10-11 14:49 | ・日記 | Trackback | Comments(3)
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今年は野生のルーコラに挑戦しました。可愛い黄色い花が咲いたので嬉しくなりました。
香りが強くたくましい味がして、サラダがとても引き立ちます。

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by aula-magna | 2010-10-08 10:31 | ・日記 | Trackback | Comments(2)
白井光子さんのドイツリートリサイタルの記事を読んだ。
白井さんは「歌は歌手の特権ではなく、あらゆる人の人生に寄り添うもの、生きて様々な
ことを感じることの延長に歌がある。」と語り、リサイタル翌日、若い歌手たちへの公開レッ
スンでは「(自分はこう感じていると)見せなきゃというのではなく、そう感じればいいだけ。
解釈は作品の自然な姿を解き放つためのものであり、歌い手の過剰な思い入れや “ 何か
新しいことを”という野心を容認するものではない」と語ったそうだ。
(以上朝日新聞夕刊より一部抜粋)


私はこれが本当に大切なことであると思う。
普段、イタリア語のレッスンをしていて思うことだが、「聴かせよう」として表現する歌詞は、
なぜか聞き手の心をとらえない。歌い手自身が、歌詞を生きた言葉として感じることが
できていれば言葉は伝わり、その人が日々様々なことを感じ取って生きていれば、その
言葉はおのずと聞き手の心にまで届く。これは歌詞を翻訳することにも通じる。
何度も言ってきたことではあるが、イタリアでは演奏者を「INTERPRETE: 通訳者」と
表現する。「聴かせる」という作為は、この言葉の中には含まれていない。

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by aula-magna | 2010-10-04 22:33 | ・イタリアの芸術 | Trackback | Comments(6)