本当のことを知る
2010年 03月 20日
イタリア人との会話の中でいつも考えさせられることは、人口、距離、時代など
常にはっきりとした数字で表現し、また質問もしますが、日本人は物事を印象で
語ることが多く、正確な情報を使って説明することが苦手であるように思います。
具体的な事実や数字で根拠を示せば、お互いに理解しあえて前進できるのに、
曖昧なままでは、本当のことが見えてこないので解決方法は見つからず、
良い人間関係も、明るい未来も期待できません。
Chi vuol dell’acqua chiara vada alla fonte.
澄んだ水が欲しいなら源泉に行け。
(本当のことを知りたいのなら、自分で確かめよう。)
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SACRA FIORA
at 2010-03-22 04:20
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イタリア人と話しているとどうして・・・?答えるとまた、どうして・・・?その受け答えをしているうちに、自然と世界が広がって思わぬ方向へ導かれたりします!それは普通に毎日の生活の中にあるのです!それを通して我々日本人はいかにエネルギーを使って生活をしていないかを思い知らされました・・・!
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aula-magna at 2010-03-22 09:04
本当にそうですね。通訳をするときに特に感じるのですが、日本人に「なぜ?」と尋ねると「なんとなく~~」「おそらく~~」と言う答えが返ってくることが多いので、それから先へ会話が進みません。
ごまかさないで、はっきりと自分の気持ちを伝えるのは難しく、エネルギーを要しますが、その分楽しく明るい会話に発展します。誰でも本当ははっきりと理解したいのですから。
ごまかさないで、はっきりと自分の気持ちを伝えるのは難しく、エネルギーを要しますが、その分楽しく明るい会話に発展します。誰でも本当ははっきりと理解したいのですから。
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kie
at 2010-03-22 20:46
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私は、言語のなりたちそのものが、コミュニケーションの取り方と密接に結びついているような気がしています…言語の成立とコミュニケーションの発生はどちらが先、とは言えませんが。翻訳をしていると、特に不可欠ではないものの英語やドイツ語なら具体的に名前を提示するのが自然であり当然である情報について、日本語の文書だと書かれていない、ということがあります。また、英語(でやりとりする相手)だったら聞けることだけれど日本語だとちょっと聞きづらい、ということがあったり。日本人同士で日本語で話していて、具体的に話し合ったつもりでも真意が伝わらないのは、1つの言葉の解釈がその人によって違うからでしょうし。そして、行き違いがあった時に、とりあえず「ごめんなさい」って言っておこう、と思う、そんな私はある意味日本人的であり、でもその後必ず「私の真意はこういうことだったのです」と説明せずにいられない私は、ある意味、日本人的でない部分もあるようです。
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aula-magna at 2010-03-23 00:28
外国語を学ぶことで日本語の難しさを強く感じるようになりますね。私は生活の中で論理的に話そうと思うと、日本語がいつの間にか翻訳調になっている事に気付き、美しい日本語とは???と考える日々が続いています。
by aula-magna
| 2010-03-20 12:28
| ・イタリア語コラム
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Comments(4)